Bulle de savon.

あのさぁ熊井ちゃんだかくまいちょーだか良く知んねーけど大体なんなんだよリアル雪城ほのかみたいな顔しやがって俺のこと偏差値30ちょいで入れちゃう地方工業高校卒のDQNだからってバカにしてんだろロリコン超キモイ氏ねとか思ってんだろ知ってんだぞ畜生くまいくまいくまぁいィいっっッ!いいか?俺がどんだけキモくてもなぁ案外サクッと骨壷入っちゃって平穏に50回忌とか迎えてもなァずぅーっっッと俺の君による僕だけのお姉ちゃんだっ!ってわけわかんねー設定で勘違いしたまんまなんだぞゴルァ!好き好きっす大好き死ぬ程モぉー死んぢゃいそぉなんだから覚えとけバカァ!!!1っぅえッゴふぉっ!



・・・風邪を、ひきました。



セキヲシテモ、ヒトリ。。。

En remarquant, et vous.

すいっちょんDVDフラゲした衝動でブログなぞ認めてはみたものの、勿体無くてパッケージすら開封出来ぬままジャケ写眺めて昏倒、気がつけば大晦日
長風呂で念入りに身を清め、キンキンに冷やした恵比寿麦酒でも嗜みつつ鑑賞しませうと目論んでおると、夏先生より
『紅白に子供も出るYO!』
と、聞き捨てならぬ御通達が入り、お尻が熱くなる。
年越しに実家の茶の間でウニだのカンパチだのつつきながら、リアルタイムで舞い踊る愛しき少女達を眺められるとは、全く贅沢な日本文化の極みであります。嗚呼アリガタイアリガタイ。。。
しかし、めーぐるさんはナゼ故エロイのか。あの様にもエロイのか。僕はもう頭がおかしくなりそうです。貴女の匂いが嗅ぎたいです。くんかくんか嗅ぎたいです。ダメですか何でですか!?甘受も罵倒も僕には至福です。生きててスミマセン。菅谷さんは学校行事が(ryとか間違ってサボタージュ失敗したのかな可哀想に。まいまいさんは帰りがけNHKの便所で嗣永さんにボコられたりやしてないか安否が気遣われます。
友理奈嬢、私は刹那に映る肘の骨格だけで貴方と判ります。貴方が実在すると云う確信を得る度に唯一無二の生きる希望を与えられます。愚鈍な着ぐるみ共のやや後方にて奥床しくも演舞に興じる艶麗な少女。どう見てもくまいちょーです。本当にありがとうございました。

À la revoyure, à très bientôt.

『みて!あたしたちはすごいんだよ!?
まいはがいなくなったって、だいじょうぶなんだから!』






―その日、7人から発せられた気魄は異様とさえ形容できた。
そして、それは漠然とかつてを愛でる僕の杞憂をも容易に払拭してくれた。






理性の箍が外れた精鋭部隊の如き少女達は、序幕からフルコンタクトなステージングを繰り出し、過熱極まる会場のボルテージを一瞬で掌握した。
その確固たるプロフェッショナリズムに裏打ちされたパフォーマンスは、粗削りながらも無限の潜在能力をこれでもかと言わんばかりに叩き付け、時に刹那的とさえ例えられる彼女達特有の世界観を遺憾無く発揮して見せた。
既にオーディエンスの介入する余地など皆無の領域とさえ思われた。
それは、彼女達を取り巻いているであろう酷く曖昧でステレオタイプな“アイドルという概念”に対する無言のアンチテーゼであったのかも知れない。
そう、彼女達の世間に対するアプローチは常にアイドル然としていた筈だ。
他者による補完を拒絶するかの様な気魄、即ちアーティスティックな姿勢は、時にコアなアイドルファンにとっては心情的な疎外感を与えるリスクファクターとして転化され、結果として敬遠される事も多いかと思う。
だが、このコンサートに於ける鮮烈なクリエイティビティの根幹を成す、彼女達の“ステージプレイヤーとしての類い稀な資質”は今更に確実な信憑性を帯びた訳で、否が応にも今後への期待が高まらない筈が無い。
これは作り手として実に真っ当な正攻法であり、手放しで称賛されるべき真価であると断言したい。
贔屓目抜きで、常軌を逸した奇跡の到達点と言って過言では無いだろう。
たとえ、全ては仲間との離別から生じた偶然の副産物に過ぎずとも、其処に崩し難い金字塔を打ち立てた事の意味は、後に非常に大きい筈である。
彼女達は敢えて多くは語らない。そして、その必要も無いのだ。
勿論、冒頭の台詞は彼女達自身の言葉では無いのだが、僕は今公演中に幾度と無くそんな言葉で訴え掛けられているかの様な錯覚に陥った。かつて聞いた事の無い程シリアスな、来たるべき岐路に対峙する7人の感情が交錯した声を。
僕は確かに聞いたのだ。
この日の彼女達はいつにも増して気丈で、そして実に雄弁であった。
麻薬の様なカタルシスに抗う術も無く、只刻々と更新されゆく眼前の夢物語も軈てゆっくりと、しかし確実にクライマックスへと向かった。
そんな中、自身最後の非日常的空間に戯れるかの如くたゆたう彼女が湛えた笑顔は、最早少女のそれでは無かった。
終演。
花束と、余りにも濃密過ぎた青春のひととき、それを共有した全ての人達の想いさえ抱きしめて嬉しそうに微笑む“天使”には、僕が大好きだったヘッポコな少女の面影も無かった。






石村舞波さん、幸福に満ち溢れた時間を・・・ありがとう。











(そして、僕は貴方の胸元ばっか見てました。ごめんなパイ。。。